2014/03/03
今年もアカデミー賞の季節がやってきました。(日本時間で3月3日です)
今年度のノミネート作品は以下の9作品です。
『アメリカン・ハッスル』
1970年代後半のアメリカを揺るがした政治家などの収賄スキャンダル、アブスキャム事件を題材にしたサスペンスドラマ。
自由と引き換えに、FBIが仕掛ける悪徳政治家検挙を狙ったおとり捜査に協力させられる詐欺師たちの姿を、スリリングに映し出していく。
メガホンを取るのは、『世界にひとつのプレイブック』などのデヴィッド・O・ラッセル。
『ザ・ファイター』などのクリスチャン・ベイルを筆頭に、ブラッドリー・クーパー、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンスら、実力派スターが結集してクセのある登場人物たちを熱演する。
監督:デヴィッド・O・ラッセル
キャスト:クリスチャン・ベイル、ブラッドリー・クーパー、ジェレミー・レナー
『キャプテン・フィリップス』
2009年のソマリア海域人質事件をテーマに、海賊に拉致されたコンテナ船船長をトム・ハンクスが演じたドラマ。
船員の救出と引き換えに4日間にわたって海賊の人質となった船長の運命と、海軍特殊部隊ネイビーシールズによる救出作戦を、緊張感あふれる演出で活写する。
原作は、船長リチャード・フィリップスが著したノンフィクション。
『ボーン』シリーズや『ユナイテッド93』などのポール・グリーングラス監督が映画化した。
船長としての誇りと拘束された恐怖を体現するトム・ハンクスの熱演と、リアルで迫力ある救出劇が見どころ。
監督:ポール・グリーングラス
キャスト:トム・ハンクス、バーカッド・アブディ、バーカッド・アブディラマン
『ダラス・バイヤーズクラブ』
1980年代当時無認可だったHIV代替治療薬を密輸販売し、アメリカのHIV患者が特効薬を手にできるよう奔走した実在のカウボーイの半生を映画化した人間ドラマ。
HIV陽性と診断されたカウボーイを『マジック・マイク』などのマシュー・マコノヒーが演じ、21キロも減量しエイズ患者という難役に挑んだ。
『チャプター27』などのジャレッド・レトー、『JUNO/ジュノ』などのジェニファー・ガーナーが共演。
監督を『ヴィクトリア女王 世紀の愛』のジャン=マルク・ヴァレが務める。
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
キャスト:マシュー・マコノヒー、ジャレッド・レトー、ジェニファー・ガーナー
『ゼロ・グラビティ』
『しあわせの隠れ場所』などのサンドラ・ブロックと『ファミリー・ツリー』などのジョージ・クルーニーという、オスカー俳優が共演を果たしたSFサスペンス。
事故によって宇宙空間に放り出され、スペースシャトルも大破してしまった宇宙飛行士と科学者が決死のサバイバルを繰り広げる。
監督を務めるのは、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』『トゥモロー・ワールド』などの鬼才アルフォンソ・キュアロン。極限状況下に置かれた者たちのドラマはもとより、リアルな宇宙空間や事故描写を創造したVFXも必見。
監督:アルフォンソ・キュアロン
キャスト:サンドラ・ブロック 、ジョージ・クルーニー
『her/世界でひとつの彼女』
『かいじゅうたちのいるところ』などの鬼才スパイク・ジョーンズが監督と脚本を手掛けたSFラブストーリー。
人工知能型OSシステムの声に惹(ひ)かれる主人公と、生身の女性よりも魅力的なシステムとの恋のてん末を描く。『ザ・マスター』などのホアキン・フェニックスが主演を務め、彼が恋心を抱く声の主を『マッチポイント』などの女優スカーレット・ヨハンソンが好演。近未来的な物語に息を吹き込む彼らの熱演が胸に響く。
監督:スパイク・ジョーンズ
キャスト:ホアキン・フェニックス 、エイミー・アダムス 、スカーレット・ヨハンソン
ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅
『ファミリー・ツリー』などのアレクサンダー・ペインがメガホンを取り、頑固な父と息子が旅を通して家族の絆を取り戻す様子を描くロードムービー。
大金が当選したという通知を信じる父とそれを怪しむ息子が、モンタナからネブラスカまで車で旅する途中に立ち寄った父の故郷で、父の意外な真実に遭遇しながらつながりを深めていく様子を映し出す。
父と息子の役には、『帰郷』などのブルース・ダーンと『最凶家族計画』などのウィル・フォーテ。
不器用だけれど憎めないキャラクターや、本作でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したブルースの演技に魅了される。
監督:アレクサンダー・ペイン
キャスト:ブルース・ダーン、ウィル・フォーテ、ジューン・スキッブ
『あなたを抱きしめる日まで』10代で未婚の母となり幼い息子と強制的に引き離された女性の奇跡の実話を、『クィーン』などのスティーヴン・フリアーズ監督が名女優ジュディ・デンチを主演に迎えて映画化。
ジャーナリストのマーティン・シックススミスによる「The Lost Child of Philomena Lee」を基に、50年前に生き別れた息子との再会を願う母親フィロミナの姿を描く。
彼女の息子捜しを手伝うマーティン役には、本作のプロデューサーと共同脚本も務める『マリー・アントワネット』などのスティーヴ・クーガンがふんする。
監督:スティーヴン・フリアーズ
キャスト:ジュディ・デンチ、スティーヴ・クーガン、ソフィ・ケネディ・クラーク
『それでも夜は明ける』
奴隷制度がはびこっていたアメリカを舞台に、自由の身でありながら拉致され、南部の綿花農園で12年間も奴隷生活を強いられた黒人男性の実話を映画化した伝記ドラマ。
主人公が体験した壮絶な奴隷生活の行方、そして絶望に打ち勝つ希望を描き出す。
監督は『SHAME -シェイム-』のスティーヴ・マックィーン、黒人男性を『2012』などのキウェテル・イジョフォーが演じる。
共演には、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ、ブラッド・ピットら豪華キャストがそろう。
監督:スティーヴ・マックィーン
キャスト:キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回想録を映画化した実録ドラマ。
1980年代から1990年代のウォール街で、若くして大金を稼ぎ、その後証券詐欺の容疑で逮捕された彼の栄枯盛衰を見つめていく。
監督と主演は『ディパーテッド』『シャッター アイランド』などでコンビを組んできた、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオ。
事実とは思えないほどのジョーダンのエピソードもさることながら、ジョナ・ヒルやマシュー・マコノヒーら、実力派の共演にも注目。
監督:マーティン・スコセッシ
キャスト:レオナルド・ディカプリオ、ジョナ・ヒル、マーゴット・ロビー
上記作品を見ていない私が、あらすじだけで大胆に作品賞を予想します。
本命は『キャプテン・フィリップス』、対抗は『ダラス・バイヤーズクラブ』で、大穴は地味な「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」でしょうか。
一方、専門家の予想は・・・
受賞予想=「アメリカン・ハッスル」
THE アメリカ映画。そして白人の映画。そしてユダヤ人監督の作品。
デビット・O・ラッセルの本命作でありアメリカで起きた事件の作品。
ユダヤ系保守派の多いアカデミー会員が思い出しやすい70年代という設定。
演技部門コンプリート候補、2年連続候補ラッセルの快進撃、作品の評価率といい一番手に踊りでた感じ。
~ジンクス1:メディアを題材にした映画は受賞させない~
他の作品と違い、ハッスルが受賞しやすい理由には、アカデミー賞の見えて見えない特殊なジンクスが今回も適応されると思われる。
このジンクスは、2011年のアカデミー賞対決「英国王のスピーチ」VS「ソーシャル・ネットワーク」のような構図がもっとも分かり易い。
前哨戦はソーシャル~の圧勝であったが、後半から英国王が受賞に至った経緯は、
ABCネットワークで放映される授賞式に、メディア(ソーシャル~の場合はSNSなど)批判の映画は絶対に受賞できないジンクスをアカデミー賞は守った。
このメディア批判映画は「市民ケーン」の時代から伝統とされており、「大統領の陰謀」「ネットワーク」「インサイダー」などテレビ・新聞を題材に扱ったセンセーショナルな作品は絶対受賞させていない。
作品の善し悪しは関係ない。
ジンクス通り、保守的作品「英国王のスピーチ」が作品を受賞。
ソーシャル~は技術部門受賞にとどまった。
つまり、アカデミーは安定牌が好みである。
~ジンクス2:政治的要因の多いアカデミー会員~
ほかのジンクスを検討すると、「ブローバック・マウンテン」のゲイ要素、「ダークナイト」のアメコミへの偏見、「インサイダー」でのメディア批判映画の除外など
アカデミー賞には、見えて見えない特殊で独特な受賞させないジンクスがある。
しかし、ハッスルにはいまのところない。
ブラッドリー・クーパー、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンス、クリスチャン・ベール、ジェレミー・レナー、そしてマフィア役のロバート・デ・ニーロ!
これだけ絢爛豪華な犯罪映画に注目がいかないわけない。
なによりもアメリカの映画である。
これはカンヌ映画祭など違い作品の善し悪しではない。
6000人近い会員の投票はある種の政治的要因が強い。
~ジンクス3:奴隷制・差別的作品は敬遠される~
他の候補のウイークポイントを考察してみる。
「それでも夜はあける」・・・奴隷制度を描いた映画でありシリアスな映画。
また監督のマックイーンがセンセーショナルな作品を撮り上げる監督。
その点を考慮しても批評家協会のみでの受賞にとどまりそう。
また、プロデューサーにブラット・ピットが連盟しているのもマイナス。
スタープロデューサーの映画は基本的に作品賞受賞させない
アカデミーのやっかみ。
去年の「アルゴ」=ジョージ・クルーニーは例外。
また、アカデミー賞歴史の中で奴隷制を描いた作品は作品賞を受賞させていない。
奴隷制を題材にした昨年の「リンカーン」や「ジャンゴ」は受賞させなかったのはその理由であろう。
(余談だが、作品賞プレゼンターのミッシェル・オバマ大統領夫人に「作品賞は、、、ジャンゴ!!」と言わせていたら大事件になっていたであろう。)
これらが先ほど述べたアカデミー賞の「見えそうで見えない独特なジンクス」に適応される要因。
白人、ユダヤ人監督の多い中で黒人監督が受賞するのは正直困難ではないかと思う。
「ゼロ・グラビティ」・・・作品自体は傑作だとする声も多くはないが、一人の女性の帰還の話という小設定でありまたアカデミー賞のように大型作品が選ばれるのに該当しない。
また、脚本賞候補にも落選したのもマイナス。
「タイタニック」で作品賞・監督賞受賞したジェームズ・キャメロンは「脚本賞に候補されてないのはどうしてだ!?」と憤慨した事もあったが、作品のキャンペーンとパワーは受賞に値するものだった。
しかし、ゼロ・グラビティがタイタニックと同じ候補条件であり受賞する条件に整っているとはまったくいい難い。
ありえない話だが、「ゼロ・グラビティ」が「ポセイドンアドベンチャー」のような大型+集団劇であればもっとポイントは高かったと思われる。
その他の候補は多分受賞ないので割合。
だそうです。
因みに、2000年からの受賞作は以下の通りです。
グラディエーター、ビューティフル・マインド、シカゴ、ロード・オブ・ザ・リング、ミリオンダラー・ベイビー、クラッシュ、ディパーテッド、ノー・カントリー、スラムドッグ・ミリオネアー、ハート・ロッカー、英国王のスピーチ、アーティスト、アルゴと続きましたが、さて今年は?
一応、予想しておくと発表がより楽しみです。
では、音楽の時間です。
プログレ(前衛ロック)の雄、イエスの紹介です。
でも、バンドに興味のない方は長い解説ですのでスルーしてください。
イエス(Yes)は、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。
1969年にデビュー。代表作に「こわれもの - Fragile (1971年)」,「危機 - Close to the Edge (1972年)」、「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」などがある。
創設期
クリス・スクワイア (ベース)
ジョン・アンダーソン (ボーカル)
ビル・ブルーフォード (ドラム)
ピーター・バンクス (ギター)
トニー・ケイ (キーボード)
「イエス・ファースト・アルバム - Yes(1969年)」と「時間と言葉 - Time and a Word(1970年)」を制作した時期を指す。
両者は映画音楽のフレーズを引用したり、カヴァー曲でインストゥルメンタル・パートを拡大して即興を取り入れたりするなどの実験的要素を導入している。
しかし、この時点は、いわゆるプログレと言われるような音では無く、結成当初に目指していた(または影響を受けた)ビートルズ、ザ・フー、バーズ、クリーム、ヴァニラ・ファッジなどのアート・ロックやサイケデリック・ロックとして分類される。
「時間と言葉」ではオーケストラと共演してシンフォニック・ロックを実現している。
1969年4月にジャニス・ジョプリンの前座を務めたのを初め、様々なコンサートのサポートやロック・フェスティバルの出演を続け、8月にはヨーロッパ各地でプロモーション・ツアーが行われた。
1970年の2月にはロンドンでナイスとのジョイント・コンサートが開催され、3月には初の単独コンサートがロンドンで開催された。
成長期
クリス・スクワイア
ジョン・アンダーソン
ビル・ブルーフォード
トニー・ケイ
スティーブ・ハウ (ギター) --- 新加入
「サード・アルバム - The Yes Album(1971年)」の発売の時期を指す。
ピーター・バンクスが脱退し、スティーヴ・ハウが加わった。
「サード・アルバム 」は、前2作での緩やかな変化とは明らかに違う急速な進歩が一聴して分かる。
全てがオリジナル曲、10分近い大作、組曲形式。
変拍子や対位法も盛り込まれ、プログレッシヴと呼ばれる要素が詰まっている。
一方で初期のポップさは一貫して保たれており、過渡期的なアプローチがみられる。
また、前作「時間と言葉」でエンジニアとして関わり、後々までイエスのスタジオ・ワークおよびステージの音響でも重要な働きをすることになるエディ・オフォードが、バンドとの共同プロデューサーとして参加したことも、変化をもたらした大きな要素の一つと考えられる。
1970年7月から、このメンバー編成によるコンサートが開始され、ヨーロッパ各地を含む数々のライヴを務めた。
翌1971年3月からは全16回という初の本格的なイギリス・ツアーが開催された。
さらに6月頃には初めてアメリカでコンサート・ツアーを行っている。
1971年7月31日のライヴ演奏を最後にトニー・ケイが脱退し、このメンバー編成は終結した。
実際には、脱退ではなくて解雇だったことがDVD「9012ライブ」に収録されたドキュメンタリーでトニー・ケイ自身が語っている。
飛躍期
クリス・スクワイア
ジョン・アンダーソン
ビル・ブルーフォード
スティーヴ・ハウ
リック・ウェイクマン (キーボード) --- 新加入
元ストローブスのリック・ウェイクマンが加わった「こわれもの - Fragile(1971年)」、続く「危機 - Close to the Edge(1972年)」が、イエスの最初のピークと言われている。
「こわれもの」はいくつかのアンサンブルとメンバーのソロ小品で構成され、メンバー個々の多彩な音楽性と、それらの絡みあいが端的に示されている。
アート・ワークに初めてロジャー・ディーンが起用された作品でもある。
「危機」は全3曲というトータル・コンセプト・アルバムで、曲作りの主導権はアンダーソン / ハウだが、他のメンバーも全員、作詞 / 曲 / アレンジに関与している。
また、ばらばらに録音された各楽章を一貫した物として繋ぎ合わせたエディ・オフォードのテープ編集技術も多大な貢献をしている。
1971年9月にはリック・ウェイクマン加入後初のライブが開催され、同月には2回目のイギリスツアー、11月には2回目のアメリカ・ツアーが催された。
1972年2月から3月にかけての3回目のツアーが催行された時、「サード・アルバム」と「こわれもの」がアメリカでゴールド・ディスクを獲得している。
だが、このツアーを終えた時点で、ビル・ブルーフォードは脱退し、キング・クリムゾンに移籍した。
そのため、ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドなどのセッションで活躍していたアラン・ホワイトが加入する。
7月から始まった4回目のアメリカ・ツアーからアラン・ホワイトが加わっている。
翌1973年にリリースされた3枚組ライヴ盤「イエスソングス - Yessongs」では、ドラムスのほとんどをアラン・ホワイトが担当したテイクで構成された。
ただし、「遥かなる思い出〜ザ・フィッシュ」や、ドラム・ソロが含まれた「パーペチュアル・チェンジ」はビル・ブルーフォードのドラムスによる演奏が使用されている。
熟成期
クリス・スクワイア
ジョン・アンダーソン
スティーヴ・ハウ
リック・ウェイクマン
アラン・ホワイト (ドラム) --- 新加入
「海洋地形学の物語 - Tales from Topographic Oceans(1973年)」をリリースした時期。
「海洋地形学の物語」は、1973年の初来日公演中に読んでいたヒンドゥー教僧侶の著書からインスパイアされたアンダーソンが、そのアイデアに賛同したハウと創り上げた叙情詩である。
大作指向はエスカレートし、2枚組で全4曲という構成となった。
この作品のコンセプトや出来そのものに不満を感じたウェイクマンは、他メンバーとのライフ・スタイルの違いからくるストレスや、自身のソロ活動の成功もあって、バンドを脱退してしまう。
転換期
クリス・スクワイア
ジョン・アンダーソン
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
パトリック・モラーツ (キーボード) --- 新加入
ウェイクマンの後任候補としてギリシャ人のヴァンゲリスの名前が挙っていたが、英国のユニオン(音楽家組合)の問題(当時、外国人の英国への参入を極度に制限していた)などで実現しなかった。
この時のヴァンゲリスとの接触は、後にアンダーソンとのユニット「ジョン・アンド・ヴァンゲリス」へと発展することになる。
結局、ウェイクマンの後任には、レフジーというバンドのスイス人キーボード奏者・パトリック・モラーツがスカウトされてイエスに参加することになる。
そしてアルバム「リレイヤー - Relayer(1974年)」が制作された。
「リレイヤー」は、「戦争と平和」(トルストイの著書とは無関係)という現実的なテーマを採り、アルバム構成も「危機」のスタイルに戻して、非常にテンションの高い演奏を繰り広げている。
パトリック・モラーツはフュージョンの要素を多く持ち込んでいる。
この時期は1976年まで続く精力的な公演を行い、メンバー全員のソロ・アルバム発表、ベスト・アルバム「イエスタデイズ - Yesterdays(1975年)」発表も行っている。
変革期
クリス・スクワイア
ジョン・アンダーソン
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
リック・ウェイクマン --- 復帰
「究極」と「トーマト」をリリースした時期。
パンクやニュー・ウェイヴが台頭した1970年代後半は、プログレッシヴ・ロックにおいても変化が生まれていた。
ジャケット・アートを幻想絵画のロジャー・ディーンから、シュールなフォトコラージュのヒプノシスへ切り替え、プロデュースをエディ・オフォードから離れてセルフ・プロデュースのみで行うようになった。
「究極 - Going for the One(1977年)」は、イエスのスタイルでもタイトでストレートなロックは出来ると証明するかのような部分、本来のイエスらしさを良い形で凝縮した部分がバランスよく配置されている。
アンダーソンがイエスの最高傑作と言う「悟りの境地 (Awaken)」、トップ10ヒットとなった「不思議なお話を (Wonderous Stories)」などが収録されている。
当初は「リレイヤー」のラインナップでスイスで始められたアルバム制作のリハーサルだが、音楽性の相違や諸々の問題が表面化してモラーツが脱退、旧友のウェイクマンがセッション・マンとして招かれた。
このセッションでの感触から、ウェイクマンは結局正式メンバーとして復帰し、レコーディングもそのままスイスで遂行された。
教会のパイプ・オルガンのウェイクマンと、スタジオのメンバー達とを電話回線で同期してレコーディングをするという試みも行われた。
「トーマト - Tormato(1978年)」は、楽曲のコンパクト化をより推し進め、歌詞のテーマも身近で手軽なものを多く取り上げた作品となった。
しかし、前回はうまくいったセルフ・プロデュースが今回は裏目に出て、アレンジやミキシングでメンバー同士が相当に揉めたと言われている。
1978年はイエス結成10周年でもあり、回転する円形ステージのライヴもこの頃に開始されている。
衰退期
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
トレヴァー・ホーン (ボーカル) --- 新加入
ジェフ・ダウンズ (キーボード) --- 新加入
ツアー終了後にパリで始めた新作のリハーサルが頓挫してしまい、結果として中心人物のアンダーソンとウェイクマンが脱退し、ボーカルとキーボードを失ったイエスは、同じマネージメントに所属していたエレクトロ・ポップ・デュオ、バグルスをまるごと吸収した。
この時のバグルスは、デビュー作「ラジオ・スターの悲劇 - The Age of Plastic(1979年)」を大ヒットさせて間もない頃であった。
ニュー・ウェイヴ的アプローチへの歩み寄りを図ったアルバム「ドラマ - Drama(1980年)」だったが、発表当時から長年の間、イエスの象徴と言えるアンダーソンや人気者であるウェイクマンの不在が冷遇を招いた。
アメリカでは好評を博した新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると、上記と同じ理由で評価も観客動員も良い結果を残せなかったと伝えられている。
こうして、このメンバー編成でのツアーを終えたイエスは活動を停止した。
停滞期(解散時)
1980年から1983年にかけての、具体的な活動が無かった時期を指す。
なお、便宜上は「解散」という言葉を使っているが、アラン・ホワイトはそれを否定しており、メンバーが集まらなかったので活動を停止していただけ、と主張している。
ハウによると、スクワイアとホワイトの二人はジミー・ペイジとセッションを始め(XYZ = ex Yes Zeppelin : 元イエスと元レッド・ツェッペリンの意)、ホーンはそのバンドをプロデュースしたいと言って二人に同行し、最終的にイエスに残ったのは彼とダウンズだけだったのだという。
ハウはイエスの再編も考えたが、当時のマネージャー、ブライアン・レーンの助言もあってイエスを諦め、新バンド、エイジア結成へシフトしたとされる。
スクワイア、ホワイトの見方はこれとは全く逆で、ハウは自分達を置いてエイジアに行ってしまった、という意味あいの発言をしている。
なお、アンダーソン脱退時のバグルス吸収、エイジアの結成、トレヴァー・ラビンの紹介など、この時期のイエスの動向を大きく左右したのはブライアン・レーンであった。
なお、最後のメンバー達の解散後の動きは、以下の様なものである。
トレヴァー・ホーンはバグルスの2作目「モダン・レコーディングの冒険 - Adventures in Modern Recording(1981年)」に着手した。
この作品にはクリス・スクワイアがサウンド・エフェクトなるクレジットで1曲にゲスト参加している(実際にはイエスのライヴでの歓声を録音したテープを使用したのみで、スクワイア自身も自分の名前がクレジットされている事実をしばらく知らなかった)。
また「ドラマ」に提供した「レンズの中へ」を、バグルス版にリ・アレンジした「アイ・アム・ア・カメラ」も収録されている。
クリス・スクワイア / アラン・ホワイトは、2人の名義でクリスマス・ソングのシングル盤「ラン・ウィズ・ザ・フォックス(1981年)」をリリースしている。
スクワイアがリード・ヴォーカルを担当している同曲はピート・シンフィールドとの共作である。
新プロジェクトをいち早く商業的に成功させていたのはスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズのエイジアである。
ジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン、U.K.他)、カール・パーマー(元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)という陣容でブライアン・レーンのマネージメントの元に結成され、デビュー作『詠時感〜時へのロマン』(1982年)が、かつてのイエスの成功を遥かに上回る「全米8週連続1位、全世界で1500万枚」を売り上げる空前のヒットとなった。
再結成
クリス・スクワイア
アラン・ホワイト
トレヴァー・ラビン (ギター、ボーカル、キーボード) --- 新加入
トニー・ケイ --- 復帰
ジョン・アンダーソン --- 復帰
ジミー・ペイジとのXYZが暗礁に乗り上げたスクワイアとホワイトは、「シネマ」と仮称された新しいバンドを結成するためのメンバーとして、南アフリカ出身のマルチ・プレイヤー、トレヴァー・ラビンと合流した。
ここに至るまでに、ラビンはデモ・テープを様々なレコード会社に送りつけており、一時エイジアに参加する可能性もあったという。
さらにスクワイアはオリジナル・メンバーのケイをシネマに参加させたが、ラビンがキーボード類にも明るかったことや、プロデュースに回ったホーンがサンプラーなどの最新技術をふんだんに取り入れていたこと、更には自身のスタイルとバンドの音楽性との阻隔もあって不満を抱き、一時は脱退してしまう(解雇とも言われている)。
スクワイア、ホワイト、ラビン、ケイの4人でのシネマとしてのデモ・テープが作成され、スクワイアがそれを偶然とパーティで同席したアンダーソンに聞かせたのをきっかけとして、アンダーソンがシネマに参加することになり、シネマがイエスに改名し、イエスの再結成となった。
そして、ケイに代わってキーボードにチャールズ・オリンズ(スクワイアの当時の妻のバンド、エスクワイアのメンバー)をゲストに迎え、イエスは新作アルバム「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」を完成させている。
途中まで別のバンド「シネマ」の作品として制作されたため、ラビンがリード・ヴォーカルを取るパートも多い。
このアルバムからシングル・カットされた「Owner Of A Lonely Heart」はアメリカをはじめ多くの国で1位を獲得し、イエスは再結成によって最大の成功を手にした。
ケイの脱退(解雇)によって、キーボード・プレイヤーが不在状態であったために、一時、エディー・ジョブソンが召集されている(シングル「ロンリー・ハート - Owner of a Lonely Heart」のプロモーション・ビデオでジョブソンの姿を確認できる)。
しかし、マネージメント側が「これはあのイエスの再結成なのだ」という印象を与えるために、ケイをバンドに復帰させるに至り、これを嫌ったジョブソンは脱退をしている。
ジョブソン曰く、「イエスにキーボード・プレイヤーは2人いらない」。
この後に行なわれたワールド・ツアーでは、サポート・キーボードとして、ステージの袖で Casey Young というキーボード奏者が演奏を行なっていたが、バンドおよびマネージメント側はこれを公にはしていない。
ロンリー・ハートから3年強のブランクを経て、イエスは「ビッグ・ジェネレイター - Big Generator(1987年)」をリリースした。
レコーディングは難航し、イタリアやアメリカなどのスタジオを転々としてようやく完成したアルバムであるが、制作途中でホーンはプロデュースを降り、ラビンがその後を担った。
このアルバムはクオリティは決して低くないものの、セールスは振るわなかった。
この時期にバンドが本拠地を置いていたのはロサンゼルスである。
発表作品は2枚のみであり実質活動期間も長くはないが、イエスとしては珍しく5年もの間メンバー・チェンジが発生しなかった。
ABWH (イエス二分裂時代)
1988年、ビッグ・ジェネレイター・ツアーが終了した時点でジョン・アンダーソンは再びバンドを脱退する。そして彼はスティーヴ・ハウ、ビル・ブルーフォード、リック・ウェイクマンとともに「アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(以下ABWH)」を結成するに至る。
アンダーソンがこうした活動に出た裏には、トレヴァー・ラビンが主導するバンドに不満を抱いていたということがあるとされる。
アンダーソンの新しい活動は「イエス」という名称を巡り、この後ついに訴訟沙汰にまでなっている。
ABWH
ジョン・アンダーソン
ビル・ブルーフォード
リック・ウェイクマン
スティーヴ・ハウ
ブルーフォードがベーシストにトニー・レヴィンを連れてきて、スタジオ録音に全面参加している。
その他には、、マット・クリフォード(key) 、ミルトン・マクドナルト(g) といったサポートメンバーが参加し、加えて、アンダーソンはヴァンゲリスと、ハウはジェフ・ダウンズ、マックス・ベーコンと(エイジア、GTR時代に)共作したマテリアルを持ち寄り新曲として仕上げている。こうして完成したアルバム「閃光 - Anderson Bruford Wakeman Howe(1989年)」は、大きな話題を呼び、ツアー・タイトルを「イエス・ミュージックの夜 - An Evening of Yes Music Plus」と銘打ち、'70年代のイエスの楽曲を数多く演奏した。
ABWHのライヴ作品「イエス・ミュージックの夜」は、CD / 映像ともに、体調を崩したレヴィンの代役として、ビル・ブルーフォードのソロ時代の仲間であるジェフ・バーリンが参加した時のものが使われている。
また、マット・クリフォードはライヴには参加せず(同時期にローリング・ストーンズのツアーに参加していたため)、代わりにジュリアン・コルベックがツアーに参加した。
一方、本家イエスの方はサポートとしてワールド・トレイドのビリー・シャーウッドを加えて新たな活動を模索していた。ただ、その成果は4枚組ボックス「イエス・イヤーズ - Yesyears(1991年)に収録された「ラヴ・コンクァーズ・オール - Love Conquers All」1曲のみで、シャーウッドは1997年の「オープン・ユア・アイズ - Open Your Eyes」で正式参加するまで、自身のバンドとイエスのサポートを並行させた。
この時期の本家イエスは、ファンの間ではそれ以前の本来のイエスやABWHと区別するために、「西海岸イエス(YesWest)」または「90125イエス」と呼ばれている。
なお、本記事において以降登場する表記「9012バンド」は、ジョン・アンダーソンが当時のインタビューで用いていた本家側の蔑称である。
西海岸イエス (9012バンド)
クリス・スクワイア
トニー・ケイ
アラン・ホワイト
トレヴァー・ラビン
統合〜収束(イエス統一)
クリス・スクワイア
トニー・ケイ
アラン・ホワイト
トレヴァー・ラビン
ジョン・アンダーソン --- 復帰
ビル・ブルーフォード --- 復帰
リック・ウェイクマン --- 復帰
スティーヴ・ハウ --- 復帰
アルバム / シングルのヒットと、ツアーの好評を受けて、ABWHはセカンド・アルバム「ダイアログ - Dialogue(未発表)」のレコーディングに入った。
しかし、楽曲の数が不足していたため、ジョン・アンダーソンはトレヴァー・ラビンに楽曲の提供を依頼。
ラビンもこの依頼に応えて楽曲を提供することになった。
この流れでスクワイアがコーラスとしてABWHの曲に参加。
結局、二つのバンドは合流してイエスとなる。
そして、ほぼ録音が完了していたABWHの「ダイアログ」にスクワイアとラビンらのイエスの新作4曲を加えて再編集して、アルバム「結晶 - Union(1991年)」が発表された。
このアルバムは、正式メンバー8名+トニー・レヴィン、ビリー・シャーウッドら多数のサポート・メンバーによって制作されたものである。
このアルバムに伴うツアーはジュール・ベルヌの小説「80日間世界一周」をモチーフにして「Round the World in 80 Days」と名づけられ、8人の正式メンバーで敢行され、世界各地で大いに盛り上がった。
なお、ツアーの最終地である日本での来日公演直前にビル・ブルーフォード脱退という報道がなされ、宣伝写真から彼の姿が消えたこともあったが、アンダーソンが「あと2週間くらい付き合えよ」と説得し、8人でツアーを終えた。
再離散
ジョン・アンダーソン
クリス・スクワイア
トニー・ケイ
アラン・ホワイト
トレヴァー・ラビン
ツアーが終了するとブルーフォードとハウが脱退する。
その結果、9012バンドとウェイクマンという6人編成となり、次作に向けてミーティングを行うものの、ウェイクマンが自身のソロ活動との両立が難しいと判断して脱退してしまう。
その結果、イエスの編成は9012バンドの5人のメンバーに戻り、アルバム「トーク - Talk(1994年)」を制作・発表している。
このアルバムのツアーを最後に、ラビンはイエスを脱退。
映画音楽の世界に転身する。また、トニー・ケイも脱退し、音楽活動から引退して側面からイエスをサポートしていくと表明した(この時点からしばらくの活動休止後、Circa、YOSO のメンバーとして復帰している)。
世紀末の混迷期
ジョン・アンダーソン
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ --- 復帰
リック・ウェイクマン --- 復帰
アラン・ホワイト
ラビンとケイの脱退を受け、ハウとウェイクマンが復帰。
イエスのオフィーシャル・サイト YesWorld は「YesKnow」のタイトルで、アンダーソン、スクワイア、ホワイト、ハウ、ウェイクマンでのイエスの復活を発表し、1996年3月にカリフォルニア州のサン・ルイス・オビスポの劇場にて、このラインナップで復活ライブ(3度の公演)を行なった。
そのようにして発表されたアルバム「キーズ・トゥ・アセンション - Keys to Ascension(1996年)」、「キーズ・トゥ・アセンション2 - Keys to Ascension 2(1997年)」は、サン・ルイス・オビスポでのライヴとスタジオ録音の新曲を混在させたプロジェクトであった。
アルバム発表の後にはツアーが予定されていたが、マネージメントの変更を検討していたためスケジュールがなかなか決まらず、ウェイクマンがスケジュールを知ったのは、既に彼自身のソロ・ライブ・ツアーのスケジュールがブッキングされた後であった。
こうしたトラブルからウェイクマンは4度目の脱退をした。
1997年5月にはウェイクマン脱退が正式に発表され、予定されていたツアーはキャンセルとなった。
後任のキーボード・プレイヤーを探していたイエスは、ジョン・アンダーソンが連れてきたロシア出身のイゴール・コロシェフをツアー用のメンバーとして加入させる。
また、1997年10月から組まれていたツアーに合わせ、クリス・スクワイアのソロ・プロジェクト「クリス・スクワイア・エクスペリメント」の曲が、急遽、イエスとしての作品に昇格してアルバムを制作する事となり、正式メンバーとなったビリー・シャーウッドが最終ミックスダウンを行った「オープン・ユア・アイズ - Open your eyes(1997年)」を完成させた。
ジョン・アンダーソン
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
ビリー・シャーウッド(ギター、キーボード、ボーカル) --- 新加入
イゴール・コロシェフ(キーボード) --- 新加入
1999年、バンドは名プロデューサーとして知られたブルース・フェアバーンを迎えてアルバム「ラダー - The Ladder(1999年)」を発表する。
このアルバムではコロシェフは正式メンバーに昇格している。
その後ビリー・シャーウッドが自分の活動に専念するため、イゴール・コロシェフが満期終了した契約の更改をせず脱退。
21世紀のイエス
ジョン・アンダーソン
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
専任キーボード奏者の不在を逆に好機と捉えたイエスは、以前から暖めていた企画であるオーケストラとの競演を柱とした作品「マグニフィケイション - Magnification(2001年)」を発表する。
更には欧米でオーケストラとの共演ライヴを実現した。
ライヴではキーボードにトム・ブリズリンが参加している。
マグニフィケイション・ツアーを終えたイエスは、ウェイクマンの復帰(4回目)を発表した(真偽は不明だが一説によると、曲作りには参加しないツアーのみの契約であるといわれている)。
その後イエスは、2002年のクラシック・ツアー、2003年のフルサークル・ツアー、2004年の35周年記念ツアーと大規模なツアーを行ったものの、スタジオ・レコーディングの新作を出していない。
ジョン・アンダーソン
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
リック・ウェイクマン --- 復帰
アラン・ホワイト
2004年11月11日、ロンドンのウェンブリー・アリーナで開催されたトレヴァー・ホーンの25周年記念ライブに、ジョン・アンダーソン、トニー・ケイ、ホーン自身を除く「ドラマ」と「90125」の混成メンバーでイエスとして参加(ヴォーカルはラビンが兼任)。
ホーン自身はバグルスとしてダウンズ、ホワイトと共演している。
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
トレヴァー・ラビン --- スポット復帰
ジェフ・ダウンズ --- スポット復帰
2005年「今年はツアーをやりたくない」というアンダーソンの意向を受けて、イエスはグループとしての活動を停止し、メンバーはソロ活動に入った
。また、リック・ウェイクマンが、公式に次のイエスの活動には参加しないことを表明した。
2008年、ジョン・アンダーソン、スティーヴ・ハウ、クリス・スクワイア、アラン・ホワイト、オリヴァー・ウェイクマン(リック・ウェイクマンの長男。
心臓病を抱えたリック・ウェイクマンは医師の助言により参加せず、代わりに息子を推薦したとのことである)というラインナップでバンド結成40周年をふまえた世界ツアーを行うことが公式サイトにて発表された。
だが、ジョン・アンダーソンの病気によりキャンセルとなった。
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
オリヴァー・ウェイクマン (キーボード) --- 新加入
ベノワ・ディヴィッド (ボーカル) --- 新加入
アンダーソンの回復を待たず、同年9月、カナダ人シンガーのベノワ・ディヴィッドをアンダーソンの代理として起用、11月から12月にかけて、北米で「イン・ザ・プレゼント・ツアー」を敢行。
その後にアンダーソンの病状は回復するものの、イエスへの復帰が認められず、イエスは2011年までベノワ・ディヴィッドとオリヴァー・ウェイクマンを加えたラインナップでライヴ活動を続けた。
その間、アンダーソンはソロ・ライヴで欧米を巡業し、2010年にはイギリスでリック・ウェイクマンとの共演の「プロジェクト360」としてのライヴも行ない、連名のアルバムも発表している。
2010年、ベノワ・ディヴィッドとオリヴァー・ウェイクマンを正式なメンバーとして次作のレコーディングを行なうことがアナウンスされた。
プロデューサーにはトレヴァー・ホーンが参加すると発表された。
2011年、キーボードにジェフ・ダウンズ、プロデューサーにトレヴァー・ホーンを迎えて製作されたアルバム「フライ・フロム・ヒア - Fly From Here」を発表。
オリヴァー・ウェイクマンについては脱退なのか、解雇なのかアナウンスされていない。
アルバムのタイトル曲である「フライ・フロム・ヒア」は1980年のアルバム「ドラマ」の時に作られていた曲の再利用である。(当時のイエスのライヴにて披露されていたほか、バグルスとしてレコーディングもされていた)
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
ジェフ・ダウンズ --- 復帰
ベノワ・ディヴィッド
同年7~8月、スティクスを前座として北米ツアーを、11月~12月には単独でヨーロッパ・ツアーを行い、そのツアーでのライヴ録音盤「イン・ザ・プレゼント〜ライヴ・フロム・リヨン - In The Present Live From Lyon」が発表された。
クリス・スクワイア
スティーヴ・ハウ
アラン・ホワイト
ジェフ・ダウンズ
ジョン・デイヴィソン (ボーカル) --- 新加入
2012年2月、オーストラリア・ツアーを前にベノワ・ディヴィッドが病気のため正式に脱退。
後任ボーカルとしてジョン・デイヴィソンが参加。
4月には10年ぶりの来日公演を果たした。
2013年3月1日より北米で「スリー・アルバム・ツアー」を開始。
この企画は「サード・アルバム」、「危機」、「究極」の3つのアルバムの全曲を、それぞれのアルバム収録の曲順に演奏する内容である。
ただし、アルバムの順は公演ごとに違っていた。
また、会場の使用時間の制限などの理由により、2つのアルバムの演奏のみになった公演もある。
その後、同じ内容での南米ツアーも行なわれた。
2013年3月7日、元・メンバーのピーター・バンクスが死去。
2013年3月末には、プログレッシュヴ・ロックのバンドの演奏を船上で聞く企画「クルーズ・トゥ・ジ・エッジ (Cruise to the Edge)」(イエスのアルバム「危機」の原題 "Close to the Edge" のもじり)に参加した。
2013年秋から次のスタジオ・アルバムの録音が開始されることがアナウンスされた。
(ウイッキペディア)
当時のプログレバンドは実力者が多かったせいもあり、離合集散が当たり前でした。
ということで、
たまにはプログレもいいですよね。
Tron Thomi by Esquire