2020/01/31
最終回だよ
2012年1月18日開始してからほとんど休むことなく更新してきた当ブログも最終回がやってきました。
ある意味、備忘録としても活用してきたわけですが、長くなると惰性感も強くなり、この辺で冷却期間をおいて、再開するかどうかを考えてみたいと思います。

とりあえず、過去ログはFC2でバックアップとっています。

振り返れば8年の間に、私の周りだけでも、父親の死去、愛犬の死、彼女との別れなど哀しい出来事も多くありましたが、ブログで思いのままを勝手気ままに書きなぐることで、ストレス発散という効果やどこかで誰かと繋がっているという安心感もあったことは事実です。

まあ、再開についてそれほど深刻に考える必要もないのですが、また皆さんとどこかでお会いできる日が来るかもしれません、皆様もご自愛のほどを。

最後は、いつものように本の紹介で終わります。


里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21) – 2013/7/10
藻谷 浩介 (著), NHK広島取材班 (著)
内容(「BOOK」データベースより):
課題先進国を救うモデル。その最先端は“里山”にあった!!危機を超え未来を生む、すり潰されない生き方を提言!!
<目次>
はじめに 「里山資本主義」のススメ
第1章 世界経済の最先端、中国山地
―原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
第2章 21世紀先進国はオーストリア
―ユーロ危機と無縁だった国の秘密
中間総括 「里山資本主義」の極意
―マネーに依存しないサブシステム
第3章 グローバル経済からの奴隷解放
―費用と人手をかけた田舎の商売の成功
第4章 「無縁社会」の克服
―福祉先進国も学ぶ「過疎の町」の知恵
第5章 「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」へ
―課題先進国を救う里山モデル
最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に訣別を
―日本の本当の危機・少子化への解決策
おわりに 里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、2060年の日本
あとがき
藻谷/浩介:
1964年、山口県生まれ。株式会社日本総合研究所調査部主席研究員。株式会社日本政策投資銀行特任顧問。88年東京大学法学部卒、同年日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。平成合併前の約3200市町村の99.9%、海外59ヶ国を概ね私費で訪問した経験を持つ。その現場での実見に、人口などの各種統計数字、郷土史を照合して、地域特性を多面的かつ詳細に把握している
では、読者レビュー怒涛の3連発です。
Genius Cancer 2018年7月3日
格差の拡大や、先進国のゼロ金利化など、行き詰まりを見せる「グローバリズム経済」(本書では「マネー資本主義」と呼ばれる)。その次に来るべき新しい経済システムは何か。その答えを探して本書を購入してみた(200を超えるレビューが既に掲載されているので、同様の関心をお持ちの方も多かったのではないだろうか)。
しかし、本書のいう「里山資本主義」の本質は、「マネー資本主義」に対置される経済システムというよりは、そのバックアップ、若しくはその補完的な「経済活動」あるいは「暮らし方」程度に止まる。取材範囲は「林業国」オーストリアまで広げられているとはいえ、本書の主題は、煎じ詰めれば「マネー資本主義」に置き去りにされ過疎に悩む(NHK広島の地元である中国地方の)田舎を経済的に再活性化する取組みを紹介することにある。確かに、里山や耕作放棄地などを利用した新しい「経済活動」には違いないが、そこに普遍的な未来の経済システムを見ることはできず、正直なところ「里山」に「資本主義」という言葉をつける意味もよくわからなかった。
さらに疑問がある。自然を利用することでお金のかからない生活、金銭を得るために競争する必要のない生活、それを本書では断定的に「豊か」と形容する。全ての人が本当にそう感じるのだろうか。都会人が就農して失敗するケースもある。その場合、金銭的に「貧しい」筈だが、それでも食料が自給できれば里山暮らしを「豊か」だと実感できるのだろうか。社会全体が金銭価値を中心としない価値観に大きく転換しない限り、多くの人がそう考えることは難しそうではある。
とは言え、本書は、我々の未来が「都市」の中だけにある訳ではないことを明らかにしてくれた。本書の意義はそこにこそあると思う。「マネー資本主義」の下で都市は拡大しつつあり、国土の主要な平野部は、アスファルトと鉄とガラスとコンクリートで覆われつつある(Google Mapで関東平野を俯瞰して頂きたい)。山々の木々は伐られ、そこに続々と戸建住宅やマンションが建設される。我々は、心のどこかでそのことに心を痛めている。都市での便利な生活から離れられはしないが、「本当はこれは間違っている」と多くの人が感じているのだ。だからタイトルを見て思わず本書を買い求めてしまう。私はそのひとりである。
人類にとって、あるべき経済システムは、地球全体が今後何億年も持続可能であるものでなければならない。人類のみならず、この地球上に生きとし生けるものが全てそのまま存続できる経済活動である必要があるだろう。だが、それは、絶対に「都市」にはない。「里山」の方にあるのだ。それは、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ氏が「懐かしい未来」という言葉で表した、昔人類がそうしていたように全ての人間が自然の中で今より不自由な生活をすることかも知れない。あるいは、人間の住む「都市」と人間の住まぬ「自然」とを完全に分け、人間は「都市」での生活と「自然」に近い「里山」での生活を行きするシステム(養老孟司氏の仰る「参勤交代」的なものも含め)なのかも知れない。
いずれにせよ、私たちの未来は「里山資本主義」で示された方角にあることは間違いない。だが、「マネー資本主義」の次に来るべき経済システムの全貌を把握するには、もうひとつ山を超える必要がありそうである。その山を越えられそうな研究者は我国にそう沢山はいない。そのお一人である藻谷浩介氏のこれからのお仕事に大いに期待しています。
オジサン太郎 2014年1月26日
この本を、下記のよう読むのは間違いである。
・里山賛美、田舎暮らし賛美の本
・今後の日本経済の課題を解決してくれる本
・木材利用の経済効果を期待する本
・理論的な書物
・田舎の体験の紹介の本
・知識を得るための本
このような本として読むと期待はずれであり、不正確、理論性の欠如などが目につくだろう。この本の理論面を批判するのは、時間の無駄である。理論的には、意味不明、趣旨不明の部分が多い。
里山資本主義の概念は漠然としており、感覚的なイメージでしかない。エッセイだから、イメージでもかまわないのだが、ところどころに理屈が出て来るので、困る。経済的採算抜きに里山に惚れ込むのが、里山資本主義のような記述箇所があるが、経済的採算が成り立たなければ、田舎で食っていけない。
著者は、おそらく2人とも都会に住み、里山を取材して、この本を書いている。里山の生活を知らない。頭の中で考えて里山のイメージを作っている。生活経験がなければ仕方がないが、里山を美化することは客観性に欠ける。
この本で広島県庄原市を取り上げているが、庄原市ではバイオマス事業が失敗した。この本はそれについては触れていない。失敗の原因を考えることは理論的には重要な問題だが、通常、ジャーナリストは、都合のよい材料だけを取り上げるので、記述に偏りが生じる。庄原市の失敗の原因は経済的採算性の欠如にある。ほとんどの自治体のバイオマス事業が失敗した原因も同じである。真庭市の成功は、その採算性にあった。真庭市と庄原市はそれほど離れていない。この本は、問題点を検討することなく、成功例を恣意的に取り上げることで、一見、夢や幻想を与えるから、売れるのかもしれない。しかし、もっと地道で堅実な検証が必要である。
Iターンする人が少なくないが、失敗する人も多い。田舎は賃金が安いこと、仕事がきついこと、閉鎖的・封建的な人間関係と家族関係、イジメ、セクハラ、長時間労働もあり、決してバラ色ではない。学校での不登校、イジメも、当然ある。田舎でも都会の文化が浸透している。田舎でも既存の業者との競争があり、経験、能力不足から競争に負ける。田舎で起業する成功者は少ないが、成功する人は、たぶん都会でも成功するだろう。意欲、創造性、能力、営業力、努力、先見の明などがあれば、田舎でも都会でも成功する。それまでにないものを見つけ、発展させ、採算ベースに乗せる才覚が必要(私も16年前にIターンした)。
田舎は、新しいことに挑戦するには良い場所だ(地価の安さ、生活費の安さ、人件費の安さ、労働力が余っていることなど)。目的意識のある人には田舎は天国であり、それがなければ田舎は地獄だろう。
この本は伝聞に基づくエッセイであり、考えるための材料である。理論は別に研究者によって深く研究されるべきだろう。
里山や田舎暮らしを賛美する本は昔から多い。田舎暮らしが素晴らしいかどうか?うーむ。なんとも言えない。人によるだろう。それは個人の趣味のレベルの問題。里山に対する目的意識による。現実に里山が存在するという事実を受けとめること。現実に里山が存在するのに、それを利用しないのは、モッタイナイ。そこから経済的発想が生まれる。情緒的な里山賛美は別の次元のもの。
バイオマスに関する本も多いが、関心のある人は、それらを読めばよい。
材木の利用だけで日本経済が変わるはずがないのは、当たり前のこと。
理論書ではないこの本に、問題解決の理屈を期待しても仕方がない。
自然を資源として活用した循環型社会を作ることは重要であり、この本はそのような社会へ向けた問題提起をしている。自然エネルギーや自然資源を活用し、かつ、それが自由競争の経済の中で自立できるか。個人の趣味のレベルで田舎暮らしをするのは簡単だが、経済として成り立つことが最大の課題なのだ。
成功例をいくつかあげたとしても、それだけでは普遍性はない。国家レベルの施策としてどのように取り入れていくか。ドイツ(この本ではあまり触れていない)やオーストリア(ここもドイツ人の国。オーストリア人は存在しない)の施策から日本が学ぶ点は多い。
国の借金で外国から資源を輸入し製品を輸出するという方法は、いずれ行き詰まる。世界市場が限られ、発展途上国の方が人件費が安い中で日本の競争力は低下する一方だ。日本でしかできない付加価値は何か。同様に、田舎も都会にはない田舎特有の付加価値を見つけなければ、都会との格差が拡大し、いずれ田舎に住む人がいなくなる。
里山利用に限らず、実は、再生可能な循環型社会でどのようにして、採算をとるかが問題である。幸福とは何か、人間の生き方はどうあるべきか、価値とは何かといった点を考える必要があるが、夢を持つだけでは、生活が成り立たず、変わった田舎愛好者しか田舎に定着できない。年金で生活できる人が、里山の夢を語るのでは、昔からある里山賛美と同じである。生活が成り立てば、おのずから田舎にも人が集まる。
経済的採算性が最大の課題であり、それを無視して、夢を語るところからは展望は生まれない。オーストリアの成功は、経済的採算性に知恵を使った点にある。そのような知恵が日本でも必要である。
日本の政策は、ドイツやオーストリアとはまったく逆の方向を向いている。それでよいのかという問題提起。それを選択するのは国民の判断に委ねられている。
elvient 2014年5月21日
本書で語られているのは、地方の衰退の原因である他地域との「貿易」赤字をいかに減らすかということである。公共事業がいい例だが、その対策として収入をいかに増やすかという点に、過去ずっと力点が置かれてきた。それに対して、本書では支出をいかに減らすか、具体的には赤字の最大の原因であるエネルギーと食糧の地域自給率を向上させるかという視点で地域経済を語っている。その地域自給率向上のために、今まで着目されていなかった地方の既存の資源を用いるという方法論を、NHKでは「里山資本主義」と名付けいるが、このキーワードの是非はともかく、その考え方の斬新さは大いに評価すべきである。
ただし、2つの点で私は本書を評価できない。まず第一に、本書が地方をあまりにユートピア的に描いていることである。本書では、地元の有志による画期的な試み、あるいは都会から移り住んだ人と地方の元々も住民とのコラボレーションで新たな商品などを創造した成功例を挙げている。都会の孤独死などと比較しつつ、地方の人間関係の濃密さのすばらしさを手放しに持ち上げているが、人間関係の濃密さというのは、一歩間違えば人間のネガティブな面をより濃厚に見せつけられるという側面も否定できない。本書ではいずれも成功例を挙げているが、一つの成功例の下には、百の失敗例があるはずである。そして、その失敗の原因の多くが、人間関係の濃密さに起因することは論を待たない。
本書は、NHKの取材班によって書かれた部分と、藻谷氏によって書かれた部分の2つに分かれている。NHKの取材班によって書かれた部分は、やはりテレビマンによって書かれたからだろうか、取材内容の精密さには問題があるものの、どこかかつてのプロジェクトXを彷彿させ、つかみのうまさもあって読んでいておもしろい。地方をあまりに牧歌的に描いている弊害はあるが、NHK的な一歩引いた感じにも好感が持てる。
しかし、藻谷氏によって書かれた部分はまるで違う。グローバル経済への批判、いわゆる20世紀型「殖産興業」にこだわる日本政府への批判を展開した後、「里山資本主義」が地方の活性化のみならず、日本人により幸せな新しい生き方を提供しうるという主張で話を終えている。しかし、藻谷氏の現状への批判には賛成できる部分も少なくないものの、あたかも「里山資本主義」が現在のグローバル経済に対峙する新しいパラダイムであるかのような考え方には賛成できない。どんなに「里山資本主義」のコンセプトが広く受け入れられたとしても、グローバル化された経済の現状では、せいぜい一部地方経済における補完、および都会人がコンセプトの一部を受け入れてライフスタイルを若干変更するという以上の意味合いは持たないだろう。それに、藻谷氏の書き方のせいなのか、「里山資本主義」による生き方の優越性が必要以上に鼻につき、藻谷氏を教祖とする新興宗教じみた印象すら持ってしまう。これが、私がこの本を評価できない最大の理由である。
過疎化と高齢化に苛まれる地方の生き残りのための方策、あるいはより自然に寄り添った生き方の提案という意味で、この「里山資本主義」には無視できない魅力がある。実際、NHKの記者によって書かれた部分だけなら、☆4つでもおかしくない。NHKの広島支局がこの「里山資本主義」に関する番組制作を続けるのであれば、次回作はNHKの記者だけで執筆してほしい。
2014年の新書大賞1位で発売当時には政治家の間でもかなり話題に上った本である。

日本は世界経済の景気動向に振り回され、日本に直接関係のない他国の失政によってでさえ多大なる影響を受けてしまうグローバル経済の網の目にからめとられています。こうした状況では、他国からの(悪)影響を最小限にした経済的安定こそが最強のライフラインである。
その1つの解決策が里山資本主義、自給自足の循環経済という考え方である。
もちろん、マネー資本主義から今すぐ決別せよということではなく、あくまでも水や燃料や食料が継続して手に入るライフラインのサブシステムとしてリスクヘッジせよというのが原点である。
一方、日本の課題としてデフレ脱却が最重要課題と言われているが、筆者(藻谷氏)によれば、デフレの正体とは過剰供給を止めない企業の苦境の構造であって、デフレ脱却の処方箋は「飽和市場からの撤退と新市場の開拓」だけだとする。(P270)
まあ、その有望な新市場の開拓こそがむつかしいのだが・・
自然に恵まれた日本の利点を最大限に活かせる里山資本主義は、本書に成功例としてでてくる林業だけではなく、農漁業にも応用できる発想法でもあるし、現に近海養殖や植物工場などの新たな形の自給方式が現れています。
また過疎地の積極的活用により、限界集落問題や雇用問題などにも歯止めがかかる可能性もあります。
要は地方の強みを最大限生かすことで、日本全体の底上げにもつながる可能性を秘めています。
とはいえ、里山資本主義はマネー資本主義の代替としてとらえるのではなく、あくまでもライフラインのバックアップシステムとして機能させながら、同時に過疎化対策の有望なアイデアとして推進していくのが正解だと思います。
最後にもう1点、気になる二酸化炭素排出についての言及がなかったのは残念でした。
というのも、木質ペレットは燃焼によってCO2を発生するが、化石燃料の燃焼とは異なり炭素循環の枠内でその総量を増加させるものではないため、統計上は排出しないものとして取り扱うことができる(カーボンニュートラル)、不要物を原料とするなどCO2排出量削減の観点と、近年の原油価格高騰に対抗するコスト削減の観点から急速に注目を浴びているわけですので。
一方ではこんな課題も・・
ペレットは木を原料とするため、寒帯林・温帯林・亜熱帯林、また針葉樹か広葉樹かにより出来上がる製品の品質に差が出る。このためストーブメーカーなどが顧客の使用するペレットがどこで作られた物か聞き取りをし、空気量やペレット供給量などを設定しなければ想定通りの燃焼を得られないケースがある。 (ウィキペディア)
この程度の課題なら対応可能ですよね。
